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蛙の末裔の妄創手帖

ポリシーは「ものに優しく」。
人畜無害で善良な変質者を目指します。
って、なにそれ?

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2024/05/15(Wed)18:41

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青き鋼の青熱脆性

2018/02/12(Mon)22:11

 もう亡くなって久しいのですが、和辻春樹博士という造船技術者の随筆が好きでして。



 別の分野の技術者について調べているときに手に取ったものながら、読んでいるうちにすっかりファンになってしまいました。古書が高価でないこともあって、いつの間にか写真の有様に。

 この和辻博士、明治24(1891)年生まれの工学博士で、戦前の大阪商船(現商船三井)で設計部門のトップとして活躍された方です。風土の哲学で有名な和辻哲郎氏とは従兄弟の間柄(※1)。また、ご健在の歌手、ロミ山田氏は和辻博士の姪にあたるようです。

※1)哲郎氏の「自叙伝のこころみ」には春樹氏のことがちょくちょく出てきます。二人のファーストコンタクトでは、幼少の春樹氏が哲郎氏にいきなりビンタを喰らわせたとか。


 科学関係者で随筆と言えば有名どころは寺田寅彦、他には中谷宇吉郎や朝永振一郎といった物理学者のイメージでしたが、昭和10年代には結構色々な分野の研究、技術者が筆を執っていたようです(※2)。和辻春樹博士と著作「船」、「続 船」はその筆頭でした。

※2)九大の数学者、吉岡修一郎は、昭和12年の九大新聞で”研究では厳密な人が科学随筆となると急に手ぬるくなって見ていられない”と酷評していますが。

長いので、以下は続きに。



 その「船」、まずインパクトはタイトルのシンプルさでしょう。
 読者にわかりやすいようにとの配慮からだそうですが、当時の東大や海軍には博士の師匠、先輩筋の権威者が沢山おられたはず。ずいぶん大見得を切ったものです。

 この「船」のベストセラー(「続 船」は文部省推薦)に続き、同じ出版社が飛行艇の専門家、橋口義男氏に筆を執ってもらった随筆が「翼」。
 また出版社は別ですが、オムニバス形式の科学随筆は「線」、「音」。安直なネーミングの科学系随筆集が次々に出版されました(※3)。



※3)他には「薬」、「毒」なども。

 それらの嚆矢になる「船」、「続・船」の面白さは、当時の工業事情と一流技術者の考え方……なんですが、一読して記憶に残るのは博士の口の悪さです。

 日本をはじめ中国やインドなど、アジアの船客のマナーの悪さや非常識な習性を指摘し、国内の工業水準の低さや役人の怠慢ぶりをこき下ろします。ただ、かなり育ちの良い人なので一言で馬鹿阿保とは言わず、具体的に書くわけですね。それがかえって手厳しい。
”口を開けば船賃が高いといふ船客あり、だがその論拠といへば別にロヂカルであつたことを聞かない。” 
出典:船, p132

”我国の研究機関が兎角不統一で学者は学者でソッポ向いた研究をし、実際に物を製造するものには研究機関が無いので甚だ困る。工場の片隅に設けた実験室で御座いといふ程度のもので何が出来るものか。”
出典:船, p175

”従つてくだらぬサービスに喜んで見たり甚だしいのは限度を超えて他人の人格を認めないサービスを要求して見たりすることは、往々にして文化人でない証拠を態々御披露に及ぶだけのことになることをもよくよく反省する必要があらうと思ふ。”
出典:続 船, p91

 ただ、この説教臭さがだんだん小気味よくなってくる。気が付けば病みつきです。
 思うにそれは、博士の指摘が決して的外れでないこと、そして向上心と視野の広い謙虚さに根差していることから来ているのでしょう。
”語学がいるとかいらぬとか馬鹿げた議論は暇人のなすところ、我々は矢張り学ばなければならない。”
出典:船, p176

”それ故認識の深いものに対するほど軽率な批判や判断が出来ないもので、自分の知識が総ての人の知識以上であつて恐ろしいものがないと思ってゐるから大法螺を吹き歩くことが出来るのであつて、世の中にはかうした連中が偉さうに起居振舞をしてゐるのだと言はれてゐるのがどこかの国ではないだらうか。それはまさしく科学技術の素地の乏しいことを裏書きしてゐるのだと言ひたい。”
出典:続 船, p233

 ただまあ、「また持論か」と煙たがられていた(と自分で書いている)博士のこと、筆は進みます。
”私が少くとも日本の理工科系統学校の収容人員を差当り二倍にし、法文系を半分にすることを強調してゐる所以もここに存するのである。”
出典:続 船, p188

”一世紀も二世紀も後れてスタートした我々が今頃法文の練合ひ、観念の遊戯、イデオロギーの論争に日を費していたのでは生産拡充も経済統制も仲々困難であらう。”
出典:続 船, p189

ここまでくると、いまどきの理系教授が居酒屋でくだをまいているのとほとんど変わりませんね……。

 ちなみに博士の学位論文(※4)も大学の図書館から借りて読んでみましたが、こちらはもちろん冷静な文章でした。

 ※4)表題は「経済的ディーゼル貨物船ニ就テ」。単に性能のいい船ではなく、物流システムとして最も効率的な船を考えるという内容です。手書き(出版されたものは青焼き)のグラフが401枚もある大作で、貸出期間中には到底読みこなせませんでした。やっぱり、「末は博士か大臣か」の時代の博士は違うってことでしょうか。


 そんな和辻博士、ご自身の設計された船を娘と呼びつつ(それを実の娘さんに訝しがられたりしつつ)大切に想っていたそうです。
”六月十一日あるぜんちな丸が竣工して始めて長崎から回航神戸入港を迎へ、翌十二日社長の御伴で十八番ブイに繋留してゐる本船にランチを走らせたが、神戸港には高砂丸、鴨緑丸、西貢丸、九州丸、東京丸等私の設計した船ばかりずらりと碇泊してゐて思はず快哉を叫んだのであつた。明日は本船に試乗して東京へ行く。あるぜんちな丸は初のお上りである。とかく田舎育ちの娘はお化粧とメーキアップがまづい。花のお江戸へ行つては恥かしくはなからうか、気掛りになるのが親心といふもの、評判は? 人気は? と。”
出典:船, p178

 それもこの溺愛ぶり。きっと、これを博士の可愛げとして受け取った読者は当時から多かったことでしょう。

 なお、あるぜんちな丸は後年空母海鷹に改造され、触雷して別府湾で擱座。戦後になって、引き揚げの報が存命の博士へ届いたことだけがせめてもの慰めでした。


P.S. ブラウザゲーム”艦これ”では海鷹は18/2/12現在未実装のはずですが、実装された暁にはまた和辻博士の知名度が上がるのかもしれませんね。
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No.602|バイオ研もろもろComment(0)Trackback

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