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蛙の末裔の妄創手帖

ポリシーは「ものに優しく」。
人畜無害で善良な変質者を目指します。
って、なにそれ?

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2024/04/29(Mon)22:41

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お味噌にもヒエラルキ

2018/08/18(Sat)21:28

 思い立ったが吉日

というより、この先思い立つことはない気がしたので熊本の宇土に行ってきました。
 ちなみに昨日思い立ちました。

 なんでも、宇土(宇土市内陸側)には城跡が二つあったり、実用されている最古の上水道とその水源があったりするとか。その辺りを拝みに行きました。



 宇土城跡と呼ばれているのは、かの小西行長が築いた城の跡と、それ以前に使われていた古城の跡です。

 前者は後に加藤清正が改修したそうで石垣も見られるのですが、人を呼ぶような整備はなされていません。

 歴史上2度破却されているそうですし、ありのままを見せるのも正しいやり方ではありますが、観光資源に乏しい自治体からすれば勿体なく感じられそうです。
 折角小西行長という高名な殿様を擁しているのですから、もうちょっとやりようがある気もするんですが。(うとん行長しゃん、というゆるキャラはいますが。)

 一方、古城と呼ばれている古代~戦国期の宇土城跡はこんな感じ。

 山頂部に柵と門と東屋が設けられ、近世より前の城を再現してありました。

 しかしまあ、人っ子一人いませんね……。夏の日の正午じゃ仕方ないか。


 この古城の麓、轟という地区もとにかく静かでした。農地と住宅の間を行くのですが、車も通らなければ人も歩いていないし(それは炎天下だから)、蝉すら鳴いていません(多分それも炎天下だから)。
 視界の中に、動物は自分だけという。

 なので、水源地は本物のオアシスでした。
 江戸期に引かれた上水道が今でも残り、実際に使っているお宅もあるという轟(とどろき)水源。

 人がおる!人がおるぞ!

 飲める湧水で、汲みに来ている人もいます。
 この水源の一段下には清冽な池があって、子供達(とたまにお父さん)が水遊びをしていました。


 また、水源地の裏手には数少ない箱もの、大太鼓収蔵館がありました。
 近隣の地区で雨乞いのために使われていた大太鼓をかつてのふるさと創生事業で整備し、まとめて管理しているのだそうです。

 床に寝ているのはどら太鼓、台に載っているのは長胴太鼓。消火器と見比べればわかりますが、迫力ありますよ。
 長胴太鼓の縁を黒い木製の飾りが取り巻いていますが、これはずっと昔に皮を留めていた木製の鋲の名残だそうです。
 また、それぞれの太鼓の下には、所有していた地区の名前と太鼓の銘が書いてあります。

 で、これが普通に江戸時代(嘉永とか)。

 しかもこれ、全部たたくことができるんです。

 桴(ばち)を借りてドンとやり、皮のすぐ近くに顔を持っていくと空気の揺れを肌で感じます。説明してくれたおじさん曰く、こうやって空気を揺らすことが雨乞いの説得力になっていたんだろうとのことでした。

 予想以上に面白い資料館でした。


 それともう一つ、印象的だったのは例の泉のこと。
 大太鼓収蔵館を出た帰り道、泉には野球クラブの練習後らしい小学生たちもユニホーム姿でやってきて、きゃあきゃあはしゃぎまくっていました。
 そのはしゃぎ声が、ずっと遠くでも聞こえるのです。

 泉からゆうに500mは離れた集落の中でも遠く聞こえていたときには、なにかこう、魂が洗われた気になりました。

 健康的だったー。
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No.605|各種見学Comment(0)Trackback

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