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ポリシーは「ものに優しく」。 人畜無害で善良な変質者を目指します。 って、なにそれ?
2011/02/10(Thu)23:24
修論の発表会が終わりまして、今日はその日のうちに帰宅することが出来ました。とりあえず月曜日に企業さんに報告する分の実験はしたので、あとは解析して紙資料とスライドを作ればOKです。
三日もあれば楽勝ですよ、
と思っていたのは今日の夕方まででした。
というのも、修論の発表を聴いてくださった韓国のバイオメカニクスの先生(特任で来日している)が今回の研究テーマを気に入ってくださり、14日にでも話をしたいというメールをいただいてしまったのです。正直修論はもう少し修正する予定でいたのですが、修正前のものを渡すわけにもいかないので前倒しで修正。しかも当日は先の報告会と重なっているのでその辺りの調整もしなければなりません。無論、その辺のやり取りは英語で。
発表会の質疑応答ならものの数分混乱すれば済みますが、会って話をするとなると付け焼刃剥がれまくりですよこれは。貴重な機会なので大事にしたいのですが、それだけに身が締め付けられるくらいに引き締まります。
ちなみに、修論の発表では教授のアイコンタクトを誤解し(そもそも何か情報を送ろうとしていたか定かではない)、24分の持ち時間を2分以上(※体感)早く切り上げてしまう失態をやらかしてしまいました。こんなはずじゃなかったのに!持ち時間フルに使って説明するはずだったのに!まったく、情けない限りであります。
No.351|バイオ研もろもろ|Comment(0)|Trackback()
2011/02/08(Tue)03:16
ちゃんと前日に6時間以上寝ているにも関わらず、研究室で行われている眠りの実験ではソッコーで寝てしまうらしいです、私。
10日に修論発表、14日にとある企業で報告会、という予定なので今しばらくは隈取りを濃くする毎日、と思っていたら、今朝見たらクマがとれていました。完徹明けなんですけどね。今日は寝ます。
No.350|バイオ研もろもろ|Comment(0)|Trackback()
2011/02/05(Sat)01:03
締切が延びたり、延ばしたりして、27日に出すはずの修論を今日提出しました。文章は推敲できていないし図のキャプションもいい加減、馬鹿でかい図と空白でページ数ばかり水増しされた完成度の低い論文です。それでいて研究室の過去の博士課程進学者の中では唯一100ページを切り、ワースト記録となってしまいました。
しかも、よりによって研究室の教授に提出した論文に大量の白紙ページが紛れ込んでいまして、もう、私の目は節穴か!状態。その前に2人の先生に提出してしまったのですが、あちらに行った論文は大丈夫なことを祈るばかりです。また、このザルなチェック体制の影響はやはりこの程度では済まず、数時間後にTEXソースのミスで空白の図を作っていたことを発見しました。……遅ぇよ。無論差し替えです。ホント、何を見ているんでしょう。
12月中旬から毎日16~17時間の研究室生活をし、直前三日間は泊まるという院生の平均的な追い込みをした割に、およそろくでもないこの論文とこの成果。執筆中は自分の出力の低さを感じましたが、それに加えて、私は忙しくなったときの手の抜きどころが悪いように思われますね。
No.349|バイオ研もろもろ|Comment(0)|Trackback()
2011/01/28(Fri)03:10
ついに日常的に修羅場進行をしていたことが実を結びはじめた気がします。
曰く、いつもと変わらない。
無論いつものペースでぐだぐだしていてはいけないのですが、別に大丈夫というか、急に忙しくなって体が拒否反応を示し始めた、なんてことはないんですよね。頭の方は追い詰められて言語運用能力に支障をきたしている面がありますが、体調は普段通りです。これならラストまでもつ気がする!
ちなみに、修論の発表会が2月10日なんですが、その後14日に研究室と共同研究をしている企業に行ってちょっとした報告をしてこなくてはなりません。しかもその内容は10日の発表後から14日までに作る。報告資料ではなくて、内容から作るってのがパンチ効いてますね。修論の余勢をかって押し切りたいところです。
まあほら、真空管だってON-OFFを繰り返さないことによって壊れにくくなるわけですし。
No.348|バイオ研もろもろ|Comment(0)|Trackback()
2011/01/26(Wed)03:49
最近、統計処理のさわりをやったり論文の書き方的なページを見たりして、だいぶ冷やかに自分の研究を見つめることができるようになりました。
今やっている研究は、小さなプロジェクトを複数積み重ねて結果を議論するタイプなのですが、それには”~~を見つけた”、”~~ができた”といったプリミティブな喜びはあまりありません。必要になれば何かを作ることはありますが、”~~がわかった”というのが結果になるので、その過程で何か物を作ったとしても(本人に達成感はありますが)、それ自体が評価されることは普通ないですしね。だから大学人には自分で工作機械を動かす人が少ないのかもしれません。
また、一つのプロジェクトの規模が小さいことには、わりと短いスパンで結果が出て飽きないという良さがありますが、当然長いスパンで取り組んだ場合に比べたら感動は小さくなります。それと、これは私が根性無しだからというのもありますが、何か一つの分野で行き詰ったときに他のアプローチに容易に逃げられてしまうんですね。しかも後で思い出したようにやり直そうとするせいで同じことを何度も繰り返し効率が悪いことこの上ない。自分でもただ食い散らかしているばかりと感じます。
加えて、なんとか論文の体裁は整えなければいけないので結果を議論するわけですが、ろくに有意でもない相関係数をとらえて”可能性がある”などと言っていると最早何が成果なのかわかりません。もともと明確な成果が表れるような目標設定をしていなかったということも災いして、考察を書けば書くだけ中身が空なのが目立つというね。
No.347|バイオ研もろもろ|Comment(0)|Trackback()