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蛙の末裔の妄創手帖

ポリシーは「ものに優しく」。
人畜無害で善良な変質者を目指します。
って、なにそれ?

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2024/05/17(Fri)02:27

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うちのお山の上に出た(但し)

2016/06/18(Sat)23:24

 小学生の頃、初めて振りと歌詞を覚えた盆踊りの曲が炭坑節でした。1997年、三池炭鉱閉山のニュースはおぼろげながら(ひょっとしたら後から上書きされた記憶かも知れませんが)憶えています。


 学会に出す原稿がなんとか一段落したので、その三池炭鉱をはじめとした世界遺産、「明治日本の産業革命遺産」を見に大牟田に行ってきました。いやあ、晴天で暑くて、健康的な気分に浸れました。

 と言っても、何分土地勘のない身。観光案内所で貰ったパンフレットを眺めつつ、事前に見たいと思っていた場所へ向かったわけですが、結局おすすめスポットの半分も回れませんでした。それでも一応、行った証拠程度のステレオ写真を紹介したいと思います。

 まずは大牟田市役所。世界遺産ではありませんが、ゴリゴリの帝冠様式を備えた1936年築の国指定登録有形文化財、しかも現役の市庁舎です。


 九大箱崎キャンパスの建物群もそうですが、実に押し出しが強いです。あえて有体に書きますが、もしこうした建物が珍しくない時代であったら、この偉そうで人を見下したような姿を私は嫌ったかもしれません。
 もっとも、現実の自分は人っ子一人いない市役所前でいそいそとカメラを取り出し、「うわー、すげえなあ」と喜んでいるのですから、これはまぁ幸せな時代に生まれたということでしょうね。

 それと、この建物が出来た当時はまわりに高速建築がなかったのだろうとも思えます。隣に高層ビルでも建とうものなら、この手の建物はとたんに委縮してしまいますから。
 幸いなことに大牟田市役所周辺には今も高い建物が少ないので、市役所は伸び伸びとその威容を晒していました。


 次は三井化学大牟田工場J工場。世界遺産を見に、と言ったわりには一番見たかったのがこれでした。


 窓の配置は7階建てなのに、やたらとでかい建物です。WEBで拝見できる諸情報によると、高さは47 mとのこと。
 素人なので化学プラントというと野ざらしのパイプ群を思い浮かべてしまいますが、ここは建物の中に造り込んだそうです。ときに、1938年。

 いやあ、言われなければ築78年だなんてわかりません。青空を映した窓ガラスと白亜の外壁は、下手な学校建築よりよほど手入れが行き届いています。現役で使われているという事実は偉大ですね、本当に。

 続いて宮浦石炭記念公園。


 坑内に降りるための列車や坑内用の重機、煙突が展示されていて自由に見学できました。煙突以外はどれもこれも高さが低くて、身を屈めるようにしてなされていた作業が偲ばれます。


 さて、今回は時間的な都合によりここで帰路につきました。上に挙げた他にも、旧商工会議所や派出所の古い建物、高射砲陣地跡、パイプラインと鉄道などいろいろ見たので時間がかかってしまいまして……。
 結局、折角炭鉱都市に行ったのに炭坑らしい施設(万田坑跡とか)や海側の施設には行けませんでした。というわけで、これは後日にお預けです。幸い日帰りできる観光地なので、また行きますよ大牟田!

 ちなみに、大牟田市街は驚くほど人がいませんでした。
 三井化学J工場の向かいのショッピングモール(ゆめタウン大牟田)が賑わっていたくらいなもので、あとはどこを歩いても人を見かけません。アーケード街を歩いている人も片手に収まる人数ですし、観光客に至っては絶無。宮浦石炭記念公園では地元の中学生がだべっていました(まぁ、これは別に悪いとは思いません。その土地ならではの場所が日常の一風景だったという思い出は、将来良い話の種になると思います)。

 一応、駅には「大蛇山」のポスターがあり、このときばかりは人手も凄いらしいので、あるいはそっちが本当の姿なのかもしれませんけどね。それと、盆踊りはやっぱり炭坑節なんでしょうか。

 ただその炭坑節、私はずっと三池炭鉱発祥と思っていたのですが、帰宅してから検索してみると筑豊の田川市が発祥地なのだとか。
 「あんまーりー煙突ぅがぁー高いーのでー」と公園の煙突の下で口ずさんでいたのはちょっとアレだったわけですね。(いやそもそも……。)

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