自分を御する手段の一つとして、凄い設計と素晴らしい設計を別物だと考えるようにしています。無論、個人的な感覚の域を出ないわけですが、一応前者は複雑怪奇であったり、非常に精密であったり、よく凝っていたりする、そんな設計を、後者は目的に対する合理性と必然性のある設計であると(自分の中では)定義しています。
翻って自分のしてきたことを省みてみると、やはりどうしても合理性、必然性から逸れていくことが多かったように思うわけですね(※凄いわけではない)。ただ、それが良いのは”凄いことを目指す”場合に本来限られるべきで、そんな場合というのは殆どが趣味のものづくりと相場は決まっています。いや、”凄いことを目指す”という目的が有るのなら、凄い設計というのは目的に適った素晴らしい設計でしょうか。
研究で作っている試験機の図面の変遷を見ながら、そんなことを考えたのでありました。
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