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2025/02/02(Sun)14:58
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ポリシーは「ものに優しく」。 人畜無害で善良な変質者を目指します。 って、なにそれ?
2016/11/06(Sun)20:44
久しく書いていなかった日記ですが、職場PCのSSDを換装したのでその記録をば。
旧SSDが128GBと小さくて、Cドライブの空きが足りなくなってきたという背景からの載せ替えです。最近急激にCドライブの空きが減ってきて(※)ついには警告まで出たので慌てました。
※インターネット一時ファイル、ハイバネーション、AppData\Local\Tempあたりは対処したんですがどうしようもなく。
SSDはSamsungのEVO750で、容量は500GBです。PC自体も使い始めて2年半なので、SSDの耐久性はそれほど重視せず、安価なもので良しとしました。別にSamsung製じゃなくても良かったのですが、職場で購入可能な業者にそれしか在庫がなかったんですね。とにかく焦ってました。
SSDのクローンを作るのには色々な方が勧めておられるEaseUS Todo Backupを使いました。OSはWin7。以下は作業手順の備忘録です。
なお、クローニングにあたっては、公安9課様のこちらの記事が大変参考になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
PCに新SSD搭載。
↓
新SSDがEaseUS~で認識されなかったのでフォーマット→Fドライブとして認識されるようになる。
↓
EaseUSのボタンから「クローン」を選択。「ソース」にCドライブ(旧SSD)を選択。
↓
「ターゲット」にFドライブ(新SSD)を選択。
ここでディスク右上の「編集」をクリックしてパーティションの区切りをマウスで変更(Cドライブの空きを大きくとりたいので、区切りの線を右端までもっていく)。
合わせて「アクティブ化」、「SSDに最適化」にチェックを入れる。
↓
クローンを実行。
↓
UEFIから起動の優先順位を新SSDに変更したがBOOTMGR is missing.のエラーで起動できず。
↓
Win7のインストールディスクを入れて、スタートアップ修復→1回目ではまだ駄目で、2回目で起動できるように。このあたりはスタートアップ修復のターゲットが新SSDになっていることを確認しつつ。
ということで無事に起動できるようになったのですが、途中、ハードウェア的にやらかしました。
SATAケーブルの脱落防止用の爪(金属製)をマザーボードの端の方のピンに当ててしまったのですね。瞬間、火花とICの焼けた臭いが……。
一瞬見えた走馬灯。いやデータは大丈夫、というセルフ激励。
同室の技官さんと「諦めたらそこで試合終了ですよ」と言いながら確認すると、どうやら火花を出したのはUSB4_5という空きポートで、結果として起動もできました。いや、今は起動できてます、というのが正解ですか。
職場は大部屋で、他研究室の助教さんや技官さん、博士後期課程の学生さんがいるんですが、こういう笑うしかないような話で慌てているのは私だけな気がしてなりません。どうしてくれましょうや。
No.594|バイオ研もろもろ|Comment(0)|Trackback
2016/08/28(Sun)10:58
山口県宇部市に学会で行ってきました。会場は山口大学工学部で、期間は4日間。初日の昼前に着いて、最後まで聴講してきました。三日目には自分の発表も。
それにしても、福岡から宇部というのは鉄道では行きにくいと実感しました。
宇部線の本数が少なすぎるせいで、新幹線で博多から厚狭や新山口まで行ってもその場で長時間待たねばなりません。結果として、本州を在来線で辿っても所要時間は同じ、あるいは早く着くという有様でした。
私が調べた時間帯も、新幹線に乗るべきは博多-小倉間のみで、その先は在来線を2回乗り継いで目的地(宇部新川)だとか。閉口しつつもそれで行きましたが、初日からいやに疲れました。
そして宇部線。ローカル線なのはわかっていましたが、それでも呉線くらいの規模を想像していました。……甘かった。
宇部駅で乗り換えたら車両は1両、車内に料金箱があるというもので(※2両編成もあるようです)、超満員でした。同業の学会参加者なんて3、4人でしたから、我々のせいとも思えません。
加えて、旅館やビジネスホテルはどこも一杯。全館満室というよりはネット予約に振り向けた分が満員ということだったのでしょうが、宿をとるのにも苦労しました。学生たちはキャンセル待ちで直前に宿を見つけ、私はなんとか郊外のココランド山口宇部(旧厚生年金休暇センター・ウェルサンピア宇部)に部屋を取れたという具合です。
去年には地元の老舗ホテルが営業を停止したそうで、そのあたりも街全体のキャパシティ不足に響いていたのかもしれません。
同じ石炭の街ながら大牟田と違って人の多い宇部でしたが、いかんせん市外との人のやりとりには向いていません。宇部市はコンベンションを町おこしの柱に位置付けているようですが、ココランドのような郊外施設で運動部の合宿を開くといった案件を除けば、ちょっと了見違いでしょう。
デパートも遊園地も動物園もあって、内向きには優れている街だと思うんですけどね。
No.593|バイオ研もろもろ|Comment(2)|Trackback
2016/06/18(Sat)23:24
小学生の頃、初めて振りと歌詞を覚えた盆踊りの曲が炭坑節でした。1997年、三池炭鉱閉山のニュースはおぼろげながら(ひょっとしたら後から上書きされた記憶かも知れませんが)憶えています。
学会に出す原稿がなんとか一段落したので、その三池炭鉱をはじめとした世界遺産、「明治日本の産業革命遺産」を見に大牟田に行ってきました。いやあ、晴天で暑くて、健康的な気分に浸れました。
と言っても、何分土地勘のない身。観光案内所で貰ったパンフレットを眺めつつ、事前に見たいと思っていた場所へ向かったわけですが、結局おすすめスポットの半分も回れませんでした。それでも一応、行った証拠程度のステレオ写真を紹介したいと思います。
まずは大牟田市役所。世界遺産ではありませんが、ゴリゴリの帝冠様式を備えた1936年築の国指定登録有形文化財、しかも現役の市庁舎です。
九大箱崎キャンパスの建物群もそうですが、実に押し出しが強いです。あえて有体に書きますが、もしこうした建物が珍しくない時代であったら、この偉そうで人を見下したような姿を私は嫌ったかもしれません。
もっとも、現実の自分は人っ子一人いない市役所前でいそいそとカメラを取り出し、「うわー、すげえなあ」と喜んでいるのですから、これはまぁ幸せな時代に生まれたということでしょうね。
それと、この建物が出来た当時はまわりに高速建築がなかったのだろうとも思えます。隣に高層ビルでも建とうものなら、この手の建物はとたんに委縮してしまいますから。
幸いなことに大牟田市役所周辺には今も高い建物が少ないので、市役所は伸び伸びとその威容を晒していました。
次は三井化学大牟田工場J工場。世界遺産を見に、と言ったわりには一番見たかったのがこれでした。
窓の配置は7階建てなのに、やたらとでかい建物です。WEBで拝見できる諸情報によると、高さは47 mとのこと。
素人なので化学プラントというと野ざらしのパイプ群を思い浮かべてしまいますが、ここは建物の中に造り込んだそうです。ときに、1938年。
いやあ、言われなければ築78年だなんてわかりません。青空を映した窓ガラスと白亜の外壁は、下手な学校建築よりよほど手入れが行き届いています。現役で使われているという事実は偉大ですね、本当に。
続いて宮浦石炭記念公園。
坑内に降りるための列車や坑内用の重機、煙突が展示されていて自由に見学できました。煙突以外はどれもこれも高さが低くて、身を屈めるようにしてなされていた作業が偲ばれます。
さて、今回は時間的な都合によりここで帰路につきました。上に挙げた他にも、旧商工会議所や派出所の古い建物、高射砲陣地跡、パイプラインと鉄道などいろいろ見たので時間がかかってしまいまして……。
結局、折角炭鉱都市に行ったのに炭坑らしい施設(万田坑跡とか)や海側の施設には行けませんでした。というわけで、これは後日にお預けです。幸い日帰りできる観光地なので、また行きますよ大牟田!
ちなみに、大牟田市街は驚くほど人がいませんでした。
三井化学J工場の向かいのショッピングモール(ゆめタウン大牟田)が賑わっていたくらいなもので、あとはどこを歩いても人を見かけません。アーケード街を歩いている人も片手に収まる人数ですし、観光客に至っては絶無。宮浦石炭記念公園では地元の中学生がだべっていました(まぁ、これは別に悪いとは思いません。その土地ならではの場所が日常の一風景だったという思い出は、将来良い話の種になると思います)。
一応、駅には「大蛇山」のポスターがあり、このときばかりは人手も凄いらしいので、あるいはそっちが本当の姿なのかもしれませんけどね。それと、盆踊りはやっぱり炭坑節なんでしょうか。
ただその炭坑節、私はずっと三池炭鉱発祥と思っていたのですが、帰宅してから検索してみると筑豊の田川市が発祥地なのだとか。
「あんまーりー煙突ぅがぁー高いーのでー」と公園の煙突の下で口ずさんでいたのはちょっとアレだったわけですね。(いやそもそも……。)
No.592|未選択|Comment(0)|Trackback
2016/05/27(Fri)23:24
学生時代から、同分野、異分野を問わず専門家同士の話を横から聞くのが好きでした。
無論自分が入って良い場であれば参加も試みますが、そうではなくて、単に鑑賞するというだけでも興味深いものがあります。自分が関わらなければ我田引水のしようがなく、純粋に他人(しかも詳しい人達)の考え方を聴けるからではないか、と自分では思っています。
同じ理由で、昔の論文、それも講演原稿を論文化したものの末尾も読むようになりました。講演原稿を論文化したものですと、末尾に質疑応答が載っていることが多いのです。
大体戦前の機械、造船、化学などの論文ですが、同じ分野で同じ年代の場合、ある人がときには発表者、ときには質問者、ときには座長となっていて、発言のたびに人となりが偲ばれるような気がします。
しかも、当時の講演会でのディスカッションは名のある教授、技師らの応酬ですから手ぬるくはありません。その分野の第一人者と言える教授や海軍の造船中将などが出てきて自身の経験に照らした質問をし、発表者も細かな数字まで挙げて答え切る。この流れは迫力満点です。いやもう、自分が訊かれる側だったらここまで詳細に(しかも咄嗟に)回答できないかも、と思わされるものも多くて、身につまされると言うか薄ら寒くなると言うか。
逆に言えば、それくらいの質問が来るものと思って準備しなければいけないというわけで、仕事上の参考にもなっているかもしれません。
それに比べると当たり障りのないのが学会企画の座談会の記録ですね。
とはいえ、質疑応答と違って発言が長いぶんだけ発言者の性格が想像しやすく、これはこれでとても面白いです。中には尋ねられていないことを力説し出す人がいたりして、その理系らしいバランスの悪さには親近感を覚えざるをえません。いつの時代でも研究者ってのはこういうものなのかな、と。
……いや、我ながら失礼な趣味だとは思います。はい。
No.591|バイオ研もろもろ|Comment(0)|Trackback
2016/04/02(Sat)22:26
No.590|バイオ研もろもろ|Comment(0)|Trackback