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蛙の末裔の妄創手帖

ポリシーは「ものに優しく」。
人畜無害で善良な変質者を目指します。
って、なにそれ?

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2025/02/02(Sun)14:54

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多士再々提出

2016/05/27(Fri)23:24

 学生時代から、同分野、異分野を問わず専門家同士の話を横から聞くのが好きでした。

 無論自分が入って良い場であれば参加も試みますが、そうではなくて、単に鑑賞するというだけでも興味深いものがあります。自分が関わらなければ我田引水のしようがなく、純粋に他人(しかも詳しい人達)の考え方を聴けるからではないか、と自分では思っています。


 同じ理由で、昔の論文、それも講演原稿を論文化したものの末尾も読むようになりました。講演原稿を論文化したものですと、末尾に質疑応答が載っていることが多いのです。

 大体戦前の機械、造船、化学などの論文ですが、同じ分野で同じ年代の場合、ある人がときには発表者、ときには質問者、ときには座長となっていて、発言のたびに人となりが偲ばれるような気がします。
 しかも、当時の講演会でのディスカッションは名のある教授、技師らの応酬ですから手ぬるくはありません。その分野の第一人者と言える教授や海軍の造船中将などが出てきて自身の経験に照らした質問をし、発表者も細かな数字まで挙げて答え切る。この流れは迫力満点です。いやもう、自分が訊かれる側だったらここまで詳細に(しかも咄嗟に)回答できないかも、と思わされるものも多くて、身につまされると言うか薄ら寒くなると言うか。
 逆に言えば、それくらいの質問が来るものと思って準備しなければいけないというわけで、仕事上の参考にもなっているかもしれません。


 それに比べると当たり障りのないのが学会企画の座談会の記録ですね。
 とはいえ、質疑応答と違って発言が長いぶんだけ発言者の性格が想像しやすく、これはこれでとても面白いです。中には尋ねられていないことを力説し出す人がいたりして、その理系らしいバランスの悪さには親近感を覚えざるをえません。いつの時代でも研究者ってのはこういうものなのかな、と。


 ……いや、我ながら失礼な趣味だとは思います。はい。

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No.591|バイオ研もろもろComment(0)Trackback

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