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蛙の末裔の妄創手帖

ポリシーは「ものに優しく」。
人畜無害で善良な変質者を目指します。
って、なにそれ?

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2025/01/22(Wed)17:52

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魚が見上げる空の色

2011/05/20(Fri)01:58

 先日、と言ってももう3週間近く前になりますが、小学生の造形作品を間近で拝見する機会を得ました。
 海沿いの地域でしたので、造形物の中には魚を表現した物も数多く有りました。まあ、それはそうでしょう。海辺に住んでいれば、魚介に無関心に育つ方が難しいと思えます。
 そんな中興味深かったのは、その魚たちがみな白い腹をしていたことです。言われてみると、鯉のぼりの鯉も、背の色には種々あれど腹は白が多いですし、なんとなく魚の腹は白、あるいは銀灰色をしているイメージがあります。そしてまた、実際にこのイメージはそう外れでも無いでしょう。魚売り場や水族館に行けば、アジもイワシもサバもカツオも、みな白銀色の腹部をしていることが判るのですから。

 ある現象を人間がどう感じているかを知るために、人間がその現象をどう表現しているかを調べるというのは有効な手段だと考えられます。例えばある人が蛍光灯の色をどう感じているかを知りたければ、その人が蛍光灯を描写する際の色表現に注目すれば良い。こうすることで、物理現象そのものだけでなく、その現象を受け取った側の感覚まで含めた情報を得ることが出来るのです。

 これを、魚に適用する事は出来ないでしょうか。魚の腹の色が白銀色をしているのは、下から見上げた時に周囲の景色、つまり空に溶け込むためだと言われています。これが本当であるならば、白銀色の腹部というのは魚が長い時間をかけて造り出した作品であり、魚なりの感覚を投影した表現だと言えるでしょう。つまり、魚たちには、空が魚の腹の色のように見えているということです。

 小説にしても映画にしても、あるいは普段の会話にしても、共感は人物を身近に感じるための重要な体験のひとつだと言えます。ですが、それは相手が人間である場合に限るのでしょうか。
 もしもある日、空の色が白や銀色に見えたとしたら、その日は魚と仲良くなれる日。
 なんてことがあったりしないかなぁと、海辺の子供たちの作品を見ていて思ったのでした。
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No.385|バイオ研もろもろComment(2)Trackback()

Comment

無題

2011/05/20(Fri)12:33

魚の存在と魚の認識はまた別問題のように思うのです.
白銀色の腹部というのは,魚自身と捕食者の造形物だと思うのです.そしてその作品作りの認知部分は捕食者の方です.
捕食者も含めて魚といっておられるなら失礼致しました.

No.1|by きたろー|URLMailEdit

次の日に話しましたけど

2011/05/21(Sat)23:56

 どうも。わざわざコメントまで残してくださり有り難うございます。
 言葉足らずなところを上手く補完してくださっていますが、まさにその通りでありまして。書き下すとこんな感じになるでしょうか。
・腹部が白いのは魚全般。=非捕食者の魚&捕食者の魚
・空と魚とを同じような色だと認識しているのは捕食者側の魚
 確かに、この2者のギャップが論理展開にみそをつけていますね。

 元々こじつけの話ですが、恥を忍んでさらに丸めこめば、ある魚の腹の色はそれを捕食する魚が選んだ(見辛かった)色であって、それは捕食する魚が見上げた空の色に近い色である、ということになるかと思います。結果として空色の非捕食者が淘汰されずに生き残ってきたのであれば、それは捕食側の魚による一種の作品かなぁと。
 と、こんなところで言い訳になっていれば幸いです。

No.2|by 蛙の末裔|URLMailEdit

Comment Thanks★

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