詳細は事情により書けませんが、どうしようもなく悔しい体験をしました。かわさきと言い、その前の学会といい、あるいは先日のmakeでの未完成といい、ことごとく自分の至らなさのみに原因があるのですが、また同じように。
今年はコンペティティブにいく、を自称して上半期に散々敗戦記録を並べ、それを踏まえての取り組みだったのですが結局うまくはいきませんでした。正直、頂が見えた気がしていただけに失望感は大きいものがあります。まぁ、メタ的に見れば、そんなふうに自画自賛してしまうところがすべての敗因なのでしょう。
もっとやれるはずもっとやれるはずと自分をけしかけて取り組んで、もうこれ以上は(半ば物理的に)できない、というところまでやってなお成功しないときの充実した失望感は、怒りと悔しさがあまりに精神を揺さぶるので酔ってしまいそうです。最大の努力で成果なし、というのですから本来はもっとも忌避しなければならないのですが。
悔しさはこれからなんどでもぶり返すと思いますが、それはそれとして今日はプチ憤死体験でした。こう言ってはなんですが、ifの話で私が高齢者であったとか、長時間立て続けにこういう状況になった、などということになったら、憤死というのもあながちありえなくはないなと思った次第です。古代史にはしばしば憤死という単語が出てきますが、一人で大きな人員、物資、責任を預かる武将や貴族ならば割とあったことなのかもしれませんね。
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