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蛙の末裔の妄創手帖

ポリシーは「ものに優しく」。
人畜無害で善良な変質者を目指します。
って、なにそれ?

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2025/02/23(Sun)08:26

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看過型電子顕微鏡

2010/06/05(Sat)01:42

 連立方程式求解機,と言うと私はまずウィルバー型のアナログ機械式計算機を思い浮かべるわけですが,当然それだけではないわけですよね.
 例えばアタナソフとベリーのコンピュータ.真空管式で,解けたのは確か29元だったかな.ちょっと記憶があいまいですけど.
 このアタナソフとベリーのやつ(ABCと呼ばれたりします)は,実はかのENIACより先に出来ているため,これこそコンピュータの最初,アタナソフこそ今日のコンピュータの父だ,なんていう話もあります.じゃあENIACを作ったモークリーとエッカートはどうなのよ,あるいは,ノイマン型計算機というところのノイマンはどうなのよ,という話になってしまうわけですよね.ちらちら調べた限りでは,およそ彼らあたりが今日言うところのコンピュータを発明した人物として採りあげられていることが多い.一定しません.
 それは結局,コンピュータというのが一代で築き上げられたものではなく,いろんな人のいろんなアプローチの中で段々と出来上がっていったものだからだろうな,と勝手に納得している次第です.コンピュータの発明者と言える人なんていないよ,というのは乱暴でしょうか.



 ただ,”プログラム内蔵型電子計算機(いわゆるノイマン型コンピュータ)”が出来た瞬間だったら言えるかも,なんてくだらない想像をしてみるわけです.一気に詭弁になりますが.
 それは,プログラムを考えることが,実物の機械を作ることと等価になった瞬間じゃないかと思うのです.
 例えばダ・ビンチは飛行機ともヘリともつかない機械のアイデアスケッチを描きましたが,彼を飛行機の発明者と言う人はあまりいません.飛行機の発明者と言えば,実機を作って飛ばしたライト兄弟,というのが定説でしょう.つまり,飛行機について言えばアイデアが発明にはならなかった,妄想はあくまで妄想だった,ということなのです.
 一方,ノイマンがENIACを見てからまとめた資料にも論理の話としてプログラム内蔵型の説明がなされてはいましたが,彼自身はこの段階で物を作っていません.けれど,彼の理論はとても優れていて,かつ完成度が高かったために,その理論を実装したコンピュータが作られると,それは一気に普及していきました.これを計算機の実物を作った人だけの手柄にできるでしょうか.
 ……ここですよ.無論ENIACを作ったのは先述の二人ですが,その彼らのようなハードウェア製作者と,ノイマンのような論理,ソフトウェア製作者の価値が対等になった瞬間こそ,プログラム内蔵型電子計算機が生まれた瞬間だと思うのです.

 なんちゃって.
 

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No.273|バイオ研もろもろComment(0)Trackback()

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